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ノッポさんって何者?実はすごい人でした!

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いらすとや
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ノッポさんをご存じの方はそれなりのご年齢の方々でしょうか?

NHK教育の番組の「なにしてあそぼう」や「できるかな」に出演していた背の高いおじさんです。

工作をしてできたもので共演のゴン太くんと一緒に遊ぶというものでしたね。

ノッポさんはNHKの職員さんかと勝手に思っていましたが、実はすごい人でした!

 

昨年9月に心不全の為にご逝去されていました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

たくさんの子どもたちを楽しませてくれてありがとうございます!
グラスホッパー物語で歌っている様子を見た時思わず嬉しくなりました。
子供の時に好きで「できるかな」を見ていたので、グラスホッパー物語の時は親戚のおじさんが活躍しているような気持ちになり涙が出たのは内緒です。

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ノッポさんって何者なの?

いらすとや

ノッポさんは高見のっぽさんと言い、京都市出身で、若い頃は俳優で芸人だった父親の元で修行していたそうです。

その後1966年にNHK教育で放送されていた子供向け番組「なにしてあそぼう」に出演し、1970年からは「できるかな」に出演されていました。

どちらのときもトレードマークのチューリップハットをかぶり「一言もしゃべらない」というキャラクターでしたよ。

ノッポさんは俳優であり作家であるとWikipediaには紹介されています。

高見のっぽ – Wikipedia

 

当時としても一言も喋らず身振り手振りで演じるというのは子供ながらに新鮮でしたし、何よりノッポさんの優しい眼差しで工作する姿やゴン太くんと遊ぶ姿は子供としても見ていてホッとしていたし、なんだか楽しく見られる不思議な魅力がありましたね。

工作を真似したことも多々あったと思います。

 

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高見のっぽさんのお父さんはチャップリン芸人!?

高見のっぽさんは若い頃芸人だった父の元で修行をされていたという話ですが、そのお父さんはどのような人だったのでしょうか??

 

ノッポさんのお父さんはチャーリー・チャップリンのモノマネも得意だったチャーリー高見と呼ばれた芸人であり、他にも奇術や俳優もされていたようです。

俳優としては柳妻麗三郎として活動されていたようで、奇術師としては(しょうきょくさい てんしゅう)として活躍されていたようです。

 

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ノッポさんの凄いところ

ノッポさんの凄いところは、やはりその人間性だと思います。

子供たちのことを「小さい人」と呼び、大きい人(大人)と対等に同じ人なのだよと敬意を払っていたところです。

大人は子供からも学ぶことがたくさんある。子供に教えるだけではないという姿が子どもなりに何か感じたのか、当時としてもかなり高い身長でしたが初めて見たときから「大好きな親戚のおじさん」という感じがしていました。

しかも「一言もしゃべらない」んですよ?それなのに長年愛されていた、しかも子供番組ですから見ている子どもたちが年々育って番組を見なくなり、新しい子どもたちが番組を見るようになってもまた人気なんですよ!!

これは偏に人柄が為せる技と言えるのではないでしょうか?

 

「できるかな」最終回ではアドリブでノッポさんがテレビの前の子供達に話しかけたということをニュースで初めて知った時は、すでに良い年でしたがなぜか泣いてしまいましたよ。

今もそのシーンを見るとジ~~ンと来ます。

 

またノッポさん実はカナヅチだったのですが健康のために水泳をはじめてみたらセンスが良かったらしいですよ。
なんと水泳に挑戦したのが50歳になってから!

そして1986年、日本水泳連盟マスターズ関東大会平泳ぎ25m部門に出場し、なんと金メダルを獲得しています。
翌年の1987年にはマスターズ世界大会に出場、60人中14位という驚異の成績を残されています。

カナヅチだったのに50歳から始めた水泳で素晴らしい成績を残されています。
人間いつ始めても遅いということはなく、がんばった分だけちゃんと結果がついてくるということを教えてくれています。

それにしても凄いですね!!

 

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ノッポさんは実は不器用??

ノッポさんといえば番組で多数の工作をされていましたね。

ですが実はノッポさんは不器用だったというのですよ。

逆に言いますと不器用だからこそ丁寧に作ろうとするところを放映されていたので子どもでも真似することができたのかもしれませんね。

 

しかも番組はほとんどが通しの一発撮りというから驚きです。
その臨場感、生っぽさが嘘のない映像となり子どもも夢中でみていたのかもしれませんね。
子どもは意外と鋭いですからね。

 

「できるかな」のスタッフの間では「セロテープのノッポさん」という合言葉があったそうです。

これはセロテープの魔術師的に華麗にセロテープを使いこなす様から来たのかと思いきや、不器用すぎてセロテープも上手に扱えなかったからだそうです。

そんな現場エピソードが出るほどですから和気藹々とした現場だったのでしょうね。

 

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実はノッポさんはポンキッキの構成作家だった!?

実はノッポさん構成作家として「ひらけ!ポンキッキ」の台本を10年以上にもわたり手掛けていたんですよ!

優しい喋らないのっぽなおじさんだけじゃなかったんですよ!

最初期のオリジナルソング「ぼくわるかった」「傷だらけのぼく」「シャワシャワシャワー」「雨のふる日はぼくゴリラ」「しんぞうのうた」「つみきのうた」「たまねぎにんじん」「おさんぽ」等の作詞も担当、楽曲を提供した。

引用:高見のっぽ – Wikipedia

 

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ノッポさんは「できるかな」の放送終了後は何していた?

ノッポさんは「できるかな」の放送終了後は、絵本・児童文学作家として活動していらっしゃいました。

50冊近くの著作がありますよ。

 

他にもグラスホッパー物語が有名だと思います。
NHKKみんなのうたで異例のロングランとなり、続編の歌もでき、ミュージカルにまでなった歌です。

ノッポさん本人が小さい人たちと一緒に歌っていましたよ。

長年喋らないキャラクターで出演していたノッポさんですが、歌も上手いしおしゃべりも上手いんですよ!

もうずるいとしか(笑)

 

 

ノッポさんありがとうございます。

ゆっくりとお休み下さい。

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